ハニワと土偶が日本の近代芸術などにどんな影響を与えてきたか。が、テーマだと思って見ていた。
私は埴輪と土偶そのものから受ける得体の知れないパワーというか、なんというか、そういうものを浴びて(?)浸って自分もなにかを噴き出す感じが好きなので、ホンモノの埴輪と土偶はそんなに展示されていないと知り、最初の勢いがちょっとそがれてしまった。
しかし、機会を得て見ることができた。
NHKの教育番組でお世話になった「おーい、はに丸!」や、テレビ番組「大魔神」が出てきたときにはちょっと笑った。そうね、こういう作品もあったね。
「はにわ展」(東京国立博物館)では学術的な面からのアプローチがほとんどだったが、少しだけ「美術品や鑑賞対象としてのはにわ」にも触れられていた。
その、埴輪や土偶に魅せられた芸術家や詩人の作品がずらりと並んだり、古墳の発掘を町や村ぐるみで取り組む戦後の古い映像も興味深かった。
「はにわ展」で目玉となっている「挂甲の武人」という埴輪は、鎧兜に身を包み、剣や矢を携えた「戦う人」の姿だ。そのためか、戦時中は子ども向けのお国のために戦う兵隊さんの説明に「はにわのような」という表現で用いられたり、ロマンティックな作品を描く画家も傷つき倒れそうな兵隊さんを支え戦う埴輪の姿の作品もあったりして、私は数日前に見た「はにわ展」での「わー、すごい。わー、すごい!」だけ思っていたらダメなんじゃないか、と思った。
前述の町ぐるみの発掘の映像では、出土したものについて研究のために来ている大学の先生と夜に勉強会をしている姿もあった。そしてナレーションで「埋葬されているのは権力のある人で、古墳を作ったり埴輪などを作った人たちのお墓はない」と権力の有無や貧富の差みたいなことも指摘していたのを思い出した。
戦いの歴史なのだ。今年の平和記念式典で湯崎広島県知事も弥生時代の争いのことに触れていた。
「挂甲の武人」をカッコいい、かわいい、とだけ思っていちゃダメなんじゃないか。もうひとつ、もしかしたらもっとたくさんの視点を持っていなくちゃならないんじゃないのか。ということも思った。
ややこしいことも考えたが、単純に見て楽しみもした。
記録としての写真だとか、博物館や美術館展示のためのポスターやパンフレットのための写真、他にも雑誌や本のための写真や挿絵、アメリカでの展覧会の様子も紹介されていた。
そして「やややや、この埴輪、一昨日見ました。いや、これも!これもこれも!!わー、こんな表紙になってるこれも!!ホンモノ見ましたよ、私!!!!」とびっくりした。
それらは「はにわ展」で見たものばかりだった。
「ハニワと土偶の近代」を見たからこそ気づき、あの展覧会のすさまじさを知ることができた。
できれば、「はにわ展」と「ハニワと土偶の近代」は両方見るのがいいなぁ、と思った。
この展覧会で嬉しかったのは、太郎ちゃんの作品に出会えたことだ。失礼ながら、私は岡本太郎さんのことを「太郎ちゃん」と呼ぶ。
土偶や埴輪と同じくらいのパワーと痛みを太郎ちゃんの作品から感じる。もっと暴力的で必ずみぞおちにパンチを食らい、口から何か吐き出しながら腹を抱え膝から崩れ落ちるくらいの衝撃をいつも受ける。
このときも「ぐはっ」となりながら作品を見ていた。
そんな感覚になるのなら見るのをやめたらいいんじゃないか、とも思うけど、どうしてもふらふらと引かれ見てしまいたくなる。
埴輪と土偶をこんな思いをしながら見るとは、思ってもいなかった。
大体、寝台特急に乗っちゃう!行き先が東京なので上京しちゃう!という、この旅の始まりから「思ってもいなかった展開」なのだ。
なんだか笑えてきちゃう。
手書きの注意書きが面白くて写真に撮った |
このラベルのデザインも素敵 |
写真の現像などの知識があればもっと違う見方ができたのかもしれない |
「古代土人形」を消して「土偶」にしているところが、また。私のツボ |
写真関係は FUJI FILM のものが多かった。素晴らしい技術なんだろうな、と思った |
おなじみ、太郎ちゃんの犬(「犬の植木鉢」) |
岡本太郎「顔」。 写真で太郎ちゃんは太郎ちゃんの父親の法事のときにこれを花器にして花を生けていた。そんな使い方を思いつかず、びっくり。 |
「顔」の裏側。 「太陽の塔」と同じように、太郎ちゃんの作品は裏にもいろいろ潜んでいる |
まさかこんなところでお会いするとは思わなかった「大魔神」。 こんなに二枚目さんだったっけ?と思った |
はに丸とひんべえ 突然、現代にやってきたひとりと一頭は言葉や生活のルールをお勉強していたなぁ、と流れていた映像を見て思い出した |