それに伴い、使われなくなった区間が発生した。ずっとそのままにはしないとは思ったけれど、まだまだ時間がかかると思っていた。電停やレールを撤去したら2車線は難しいかもしれないけど、1車線は増やせそうだもの。
使われない区間には立ち入れないようにされていた。私はのんきに「(電車が走っているときにはできなかった)のぼり・くだりの電停の間を車やバイクで走っちゃおう、とするやんちゃな人たちを防ぐのかしら。あるいは広島の町の運転に慣れてない人が突っ込んじゃうことがあるかもしれないもんね」と思っていた。
お盆が明けてしばらくすると、電停に設置されていた屋根や道路と電停を区切るプレートがなくなっていた。
やややややっ!と思ったときには電停が壊されていて、撤去準備は着実に進んでいた。
私はとても焦って、カメラを持ち出し写真を撮った。
今年の8月頭に新ルート開通する、と知ってからは使われなくなるルートの写真を意識的に撮っていた。
なんでこんなに焦って撮っているんだろう、と考えたら、思い当たることがあった。
私は子どものときに過ごした町をなくしていた。面影なくきれいさっぱりと、私が住んでいて学校に通っていたあの道や町はなくなった。
ある一定のエリアからは残っているので「すべてを失った」感じはしないけれど、主な生活圏の喪失感はぬぐえなかった。
今ならスマホひとつで気軽に写真や動画が撮れるけど、子どもの頃はデジカメもないので気軽に写真は撮れず(フィルムだった。途中から自動巻き取りになったけど)、動画なんて撮影する機材は持っていなかった。
そのときにはこんなことになるとは思っていなかったが、今になって「あの町のことは思い出にしかない」とひどく焦りを覚えた。
家族の写真を撮る。旅行の写真を撮る。そんなことはあるけれど、「いつも暮らしている町を撮る」なんて発想もなかった。
いつもあったあの場所はもうない。おうちも部屋も町も客観的に誰かに見せるものはない。
そのときに似た焦りが私の中にあるんだ、と思ったときにちょっと泣きそうになった。
きっと私のことなので、記事の最後に意味なく今年撮った路面電車の写真を貼り付けるかも。
ちょっとでもどこかに残しておきたい気持ちがあるんだ。
| まだ電停の屋根やプレートは残っている |
| 屋根は撤去され、電停はドリルで粉々にする作業が始まっていた |
| 立ち入り禁止の向こうに続いていたレールは撤去されていた |
| レールが途切れている |
| じゃんじゃんばりばり電停を壊していく |
| 電停の半分くらいなくなっていた |
| もちろん駅前の1階にあった路面電車のりばも急ピッチで撤去作業が行われていた |
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