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木村伊兵衛 写真に生きる / 広島県立美術館


※ネタバレあり。


たまにカメラがどうとか言っていますが、私はカメラのことも写真のこともなにもわかっていません。カメラの基本的な操作から、メーカーごとの特徴、絵作りに関するスキル、写真を撮るときの心構えなどなど、さっぱりです。ちょっとはがんばったこともありましたが、全然私の内側に入ってきませんでした。あまりの入ってこなささに、諦めました。


さて、木村伊兵衛さんはお名前だけは「見たことがある」くらいでした。そしてそのお名前の写真の賞があったような気がするなぁ、というぼんやりした感じです。

まともの木村さんの写真を見たのは、今回が初めてかもしれません。もともと写真展をあまり見たことがなく、もしかしたらなにかの拍子に数点見たことがあるかもしれませんが、こんなに意識して見たことはありません。


会場に木村さんが使っていたものと同じモデルの色違いのライカM3が展示されていました(展示はブラック。木村さんのはシルバーかなぁ。木村さんのセルフポートレート内のカメラは白っぽい部分もありました)。

ストラップは細い革で、先は緩まないようにか、両端とも折り返されて黒のビニールテープでぐるぐる巻きにされていました。ストラップは使い込まれて、色がはげていたり、端がぼそぼそになったりしていたのに、カメラ本体はとてもきれいでした。木村さんのカメラではないけれど、そのカメラになにかぐっとくるものを感じました。

もちろん、カメラの後ろにはモニターはありません。フィルムカメラだもの。

そうか。そうよね。デジタルカメラばかり使っているので、「これはフィルムカメラである」というのが、わかっていたつもりだったのに、スコーンと抜け落ちていたことに気づきました。

筆記体の「Leica」のロゴはまるっこくてかわいいのに、正面から見たらメカメカしい、愛らしくも荒々しいカメラでした。


私は人を写すことはほとんどありません。こんなふうにブログやSNSに載せることを考えてしまうからです。

展覧会の始まりは、1936年に沖縄で撮られたモノクロの写真でした。なんだかすっごくびっくりしました。すごく昔の写真みたいなのに、とても瑞々しく、しかしどこか映画かドラマのセットのような、しかしそれにしてはあまりにもリアル。

ヘンなことを言っているのはわかっていますが、ここでも頭の中の知識とリアルな生活が結びついておらず、混乱してしまいます。


ところで私は美術館に行くのは好きですが、美術史も絵を描くテクニックも画家についてもあまり知らずに「見て」います。なにが楽しいって、その作品を前にして自分がなにを感じるか、を注意深く感じることです。

なので、最初は「1936年と言えば、木村さんは1901年生まれだから35歳にこれを撮って、まだ第二次世界大戦は始まってなくて…」と考えながら見ていたのですが、そういうのはやめてただただ、構図だのなんだのも考えず、作品を見ることにしました。


木村さんの写真は面白かった。写っている人たちひとりひとりの物語、というか人生というか、そういうのがいっぱい詰まっていて、そういうものを想像していた。

町の看板が楽しかった。手書きで、いろんなフォントがあって、シャレたのから味わい深いものまで。

上村松園さんが扇子を持った自分を鏡に映し、それをデッサンしている写真は震えた。こんなふうに練習をしているんだ。上村さんの扇子を持つ手や指がたおやかで艶っぽくて丸くないのにイメージが丸くて、その手に触れてみた衝動があるのに近づいてはいけない緊張感もあって。

依頼があって、広島の写真もたくさん撮ってあった。原爆投下から2年後の広島。先日見た広島城も石垣だけあった。瓦礫と路面電車と人々が生活していた。動画じゃないのに、どこか動いている映像を見たような気がした。宮島もあった。

木村さんが現像した作品もあった。古いものなので写真は劣化しているのに、そこだけざらざらと目の粗いサンドペーパーみたいに私を削り、影が濃くて、圧が違う気がした。

チケットにもなった女性は印象的だけど、添えられた文章から「作られた農作業をしている女性」らしく、私はひどくがっかりした。いや、美しいしインパクトもあるけれど「美人さんを撮るように言われたのかなぁ。美人さん、みんな好きだもんねぇ」となぜか愚痴ぐち自分の中にあふれてきたので、慌ててその作品から去った。

ちょくちょく添えられている木村さんの文章が味わい深くて「写真家、文章もうまい」なんて勝手なこと思ってた。


一番好きだったのは、東京の芸者さんのいたあたりの1枚で。たくさんの白足袋がお洗濯されてお天気のいい中、干されていた。どんなお姐さんがはいたのか。誰が洗濯したのか。白足袋を白く保つのは大変だ。何人分なんだ。夜の世界のものがのどかにお日様の下で揺れている感じのギャップが面白かった。


ヨーロッパの写真はカラーだった。


そんなこんなを感じていたが、全体を通して思っていたのは「こりゃ大変なことだぞ」。

まずカメラ高い。ライカなんて「高いカメラ」という認識した持てない。

レンズも高いでしょうね。何本いるのかな。

私が見た「Leica M3」は小型カメラでしたけど、やっぱり重いと思うのよ。

フィルム、何本いる?それを移動のたび運ぶのよ!そうだ、フィルムって撮り終わったら、データを書かないといけないじゃん。

それから現像でしょ。やったことないけど、点数が多いとそれなりのスペースはいるだろうし。暗室がどれくらいの広さがいるのか知らないし。薬剤もそこそこのものから高いヤツまでありそうだし。

デジカメじゃないから、私みたいにしゃかしゃかシャッター切るわけにはいかないんだよ。


というのが、頭の中をぐるぐる回っていた。

私も古い犬なので、ちょっとだけフィルムカメラを触った体験がある。取り終わったらフィルムを巻き取り、日陰でフィルム交換。そのうち取り終わったら自動でフィルムの巻き取りをカメラがするようになるのだけれど、電池がめちゃめちゃいる。重い。

だけどさぁ。シャッター切ったら、フィルムの巻き上げレバーを右親指でぐいーっと操作する、あれがさぁ、好きだったんだよねぇ。


なんだか不思議な時間を過ごした気がした。

あとねぇ。写真って「今、目の前に起っている真実を人々に知らしめるのです!」みたいな気迫のこもった写真もあるじゃん。目を背けてはいけない事実とかさぁ。そういうのがいっぱいだと、心が折れそうになるから、前売券を買っていたけど実は心配だったんだぁ。

でもさぁ。どこかに笑いやたくましく生きる姿があってさぁ。広島の写真も「観光案内」のための写真だというのもあるけれど、三段峡をガイドする素朴な女性とか、お天守はなくなった広島城の石垣に腰掛ける若い男女の後ろ姿とか、野生のお花とか、そういうのも撮ってあってさ。なんだか嬉しかったんだよなぁ。

「悲惨」だけじゃなくて、どこかに明るい光があるような、希望が持てるような、そんな感じがしたんだ。



木村伊兵衛 写真に生きる | 広島県立美術館

広島ゆかりの美術作品、日本とアジアの工芸作品、ダリの「ヴィーナスの夢」など1920~30年代の美術作品をテーマにコレクションも充実。 緑ゆたかな名勝 縮景園に隣接しており、展覧会と合わせて四季折々の自然景観もお楽しみいただけます。



■本日の写真

会場内は撮影禁止のため、会場の外のフォトスポットの写真。ライカって空気まで写るの?




「ライカのレンズは空気が写る」
ホント?