ぎりぎりの予約に、ぎりぎりの余市駅到着。余市まで足をのばすかどうかぎりぎりまで迷った結果がこれだった。
小樽のホテルを出て、全荷物を背負って小一時間は歩き回ったあとのJR乗車だ。
見学が始まる9分前に電車が着いたので、私は早歩きしながら目的地を探した。
お城じゃん!
絵本の中のヨーロッパの小さなお城の正面の城壁のような建物が見えた。てっぺんには旗がはためいている。
受付をすませ、コインロッカーに荷物をぶち込み、ほっとする間もなく見学ツアーは始まった。
ニッカウヰスキーの余市蒸溜所は友達との会話に何度か出てきたので、知っていた。
ただ強い酒にも弱く、小樽をゆっくり見て回っていないのに余市に移動するのをためらわれた。
しかし、行ってよかったと思う。申し込みが必要な見学ツアーは、見学なしの利用者には入れない場所もわかりやすい説明とともに見せてもらえる。
以前、NHKの朝ドラのモデルになったので人気がぐんと出たそうだ。
創立者の竹鶴政孝は広島の竹原出身のため、少し親近感を持つ。竹鶴と言えば竹原の日本酒メーカーと一緒じゃん、と思っていたら、その一族の方でした。
その名残でポットスチルにしめ縄が巻いてあると説明で聞いて「なるほど」と思った。
小樽のマップを観光案内所でもらったけど、本州や四国、九州でよく見る寺社仏閣の類がほとんど載ってない。「あー、違う文化圏に来たんだ」と強く感じていたので、しめ縄にすごく違和感を持ってしまったのだ。
今回、一番印象に残ったのは「ニッカ」の名前の由来だった。
ウイスキーを仕込むと熟成期間が必要。初めて作ったときは「仕込みが終わったウイスキー」はあるものの出荷できないため、売るものがない。そこで竹鶴さんはリンゴジュースを作って売っていた。そのときの社名が「大日本果汁株式会社」で「ニッポン」の「ニッ」、「カジュウ」の「カ」で「ニッカ」とした。ひゃあ!
施設見学のあと、3種類の試飲をした。自販機のおつまみは「道民の醤油アーモンド」にした。おいしかったので、お土産にも買った。
レストランへ行き、昼食とデザートを食べ、ミュージアムを見て、見学者だけ入れるエリアに入った。
閑散としていて、静かだ。
作業や保管の建物は洋風。電線やパイプがむき出しになっていないのは竹鶴さんの美意識から地下に全部埋めるよう指示があったそうだ。
私は何度目かの「ここはどこだろう」という感覚を強く持った。日本のような欧米のような北海道だけどそれを語るのはなにも知らない。
ミュージアムで見た、竹鶴さんのウイスキー製造技術を得るための船旅と海外での生活。そこで知り合った妻のリタさんとの国際結婚。そして彼女の日本での生活については移築した2人の住宅でも触れていた。
今でも国際結婚や異国での生活は大変だと思うのに、あの当時はどうだったんだろう。想像しようにも想像できなかった。
私ではぺらぺら過ぎる。
その後私は無口になる。ひとり旅なので無口で当然なのだけど、ココロが無口になった。余市から札幌に向かう列車に揺られ、日本海の北のあたりや石狩の風力発電の風車を窓から見ながら「小樽に向かう電車ではあんなにココロはおしゃべりだったのに」と思った。
そしてこの「無口で、おそらく固い表情」のココロは北海道旅行最後まで、ずっと私といて、今も一緒にいる。
「北海道旅行、楽しかった!」でもいいのだと思う。だけど説明文を見るたびに「入植」や「開拓」という文字が目に入る。それは誰の視点で書かれているのか。
北海道に行ったのにアイヌについて全然触れていないのは、いいのか。
北海道大学が作られた目的が「開拓のために人をたくさん投入するが、食料はそこでまかなわなくてはならない」ので、食料確保のための研究というのを初めて知った。衝撃的だった。
同じような思いは、しばらくの間1年に1回は行っていた沖縄でも感じていた。
すごくたくさんをことを感じ、考えているのだと思う。けれどそれは言語化できず、私の中に溜まっている。そのせいかあほみたいにブログに文章を書き殴っている。とにかく吐き出さないとどうにかなりそうだ。
余市蒸溜所に話を戻すが、行ってよかった。できれば宮城蒸溜所にも行きたくなった。
見学の最初にピート(泥炭)を使って乾燥させた麦芽と、ピートを使わずに乾燥させた麦芽の匂いをかがせてもらった。びっくりだ。私がウイスキーの匂いだ、と認識しているものは「ピート」なんだ!という衝撃から始まった見学は、本当に楽しかった。
勧めてくれた友達と素敵な体験をさせてくれた余市蒸溜所の方々に感謝します。