前職で知り合った方とお会いして、お話した。話題は当然、私の突然のフリー宣言になる。もうちょっと方法があったのではないか、など言っていただく。私は「すみません」しか答えられない。
そんな中で、自分の評価に対する話題も出てきた。私は「実際の働きぶりをほとんど見ていない人がつける評価になんの価値があるのか」と思っている。実際に出先での仕事だし、私の上司が定期的に私たちの働きぶりの報告をしているわけでもない。年に1度、10~15分程度の話の中で交わされたことがメインと考えられる。
前後期と1回、評価が出るが突然、見たことのない高評価がやってきた。4~5か月遅れで。あまりの結果に私は警戒心と猜疑心を持った。自己防衛に努めた。だって、おかしいもん。
もう仕事から離れたので、初めてその結果について他の人に話した。評価の真偽と、私の異動がしやすくなるため都合がよかったのかもしれない、とも話した。
その人は驚いた。そしてその後、いかに私が自己評価が低く、自己肯定感も低いかを知ってますます驚いた。いつも自信がなくて、不安がいっぱいなのでその反応に私も驚いた。
その人は言葉を並べ、温かくそして厳しく「評価してくれるということは見てくれていることだ」、「評価の結果がいいことは素直に認めるのだ」、「そして『よくやった』と自分を褒めるのだ」と時間と熱量をたっぷり使って伝えてくれた。
私は猜疑心もあるので、その評価のことを信用していないし、それが嬉しいとは全然思わなかった。それよりもっと別のことを見てほしかったなぁ、と思った。他の成果についてもそれは自分のスキルがどうこうではなく、自分の意思を伝え話をすりあわせ実践したり、他の人ががんばったりしたからこの結果になったのであって、それが自分の成長やがんばりによるものだと全然感じられなかった。
という話をしたので、ますます熱を入れてお話してくださった。
結局、半分くらいしか私は受け止めることができなかった。
お話を聞きながら、「自分、全然変わってないじゃん」と思った。
よく「素直じゃない」、「かわいげがない」と子どもの頃、言われていた。素直になれない気持ちはたくさんあった。大好きな人のことを陰でひどい悪口を言う人たちを信じられなかったし、同じことをしたって自分と弟とでは対応に差があったし、「あんたにかわいいと思ってほしくて、言われたことをやるもんか」と思ってた。
素直になることは随分難しいので、ちょっと置いておいて。
自分を認めてかわいがること、甘やかすことは必要だなぁ、と思ってこれまでもがんばっている。でもどうやってもうまくいかない。どうしていいのかわからないし、どこまでやっていいのかもちっともわからない。お布団シェルターに籠もって丸くなるだけだ。
「自信を持て」と言われてもどうやって自信を持てばいいのかわからない。
今回の一連のことで言えば「がんばって仕事を続ける」ではなく「もういやだ。がんばらない!」と言ったことが、最大のわがままで素直な気持ちだった。自分の中の小さな自分の声を表面に出した。飲み込まなかったし、無理してわかったふりもできなかった。
甘えたくても甘えられなかった。という思いが強くある。忙しいから。弟が体調を崩しているから。お姉ちゃんでしょ。ひとりでできるでしょ。なんでわからないの。こういうことが大きく渦巻いている。随分時間が経ってしまったので、記憶や認知がゆがんでいるかもしれないけど。
おうちで掃除して片づけしてすてすて団活動して、お買い物行って自分で料理作っている。全部、自分の好きなペースでやっている。めざましもかけない。一応、あまりに昼夜逆転してはいけないと思い、一定の時間にアラームをならしているけれど、基本はめざまし用ではない。
自然と6:30より前に目が覚め、ラジオ体操をしモーニングページを書いている。あせらない。せかされない。すごく気持ちいい。ここの時間が一番素直でかわいらしい。
これからまた「自分をかわいがること」と向き合うのかなぁ。そんな気はしていて、だからモーニングページを始めたんだ。
ちなみにモーニングページを書き終わると7:00すぎで、またもそもそと布団に潜り込みごろごろうとうとしてしまう。へへへ。
■おまけ 2025/05/08
写真は4パック840円(税込)の驚きの白さもあるいちごをジャムにしている様子。きび砂糖と三温糖で煮たためほんのりと穏やかな甘さ。実も固いようで煮ても崩れることがなかった。
おうちがいちごのいい匂いでいっぱいになったのはよかった。
コメントを投稿
別ページに移動します