編集

14年が経ち



今日はいつものようにのんきな日記を書いてもいいものか、それともなにかしらかしこまり真面目なことを書いたほうがいいものか、判断に困った。

真面目なことを書いてみようとしたが、書けることがなかった。

14年前のことは覚えているし、そのあとの異様で物々しい雰囲気ももちろん覚えている。

被災しておらず、揺れも全然感じていない私と、それらを体験した人とではすごい温度差があり、おそらくその人たちのうちの何人かを怒らせているのだなぁ、と感じることもあった。


Twitter がなかなかの有効手段のひとつだったことも、強く印象に残っている。今、同じように頼れるかと言えば、あまりそうは思えない。かといって、Bluesky や Mastodon がかつての Twitter と同じような手段となり得るかと言えば、こちらもそうは思えない。


「日常」が奪われる経験がない。想像しても想像しきれない。


原爆の日のように「季節もの」にならないことを願う。その地域だけになってしまわないことも願う。


非常用持ち出し袋もなんとなく用意している。しかし、理想と現実があり、家人のものも私が持ち出さないといけないとなると、なにをどれくらいどのように準備しておいたほうがいいのか、さっぱり見当がつかない。

備蓄しておくものと常備しておくものと、持ち出すものが明確になっていないのかもしれない。


14年が経ち、今自分がどうなのかをつらつら書いてみることにした。


2025/03/11 Kyrie



■本日の写真

先日の梅狩りで撮った写真。花に助けられることは多い。