2024年4月19日(金)。この日はへろへろで、翌日の土曜日も出勤で、それでも「あと1日。土曜日を乗り越えれば日曜日が休みだ」と帰りの自転車も自分を励ましながら漕ぐくらいだった。
帰宅後、SNSでユーリの劇場版製作中止のニュースを知った。
テレビアニメ版の2期ではなく、劇場版製作の発表があったときはとても嬉しく思った。10代か20代前半の髪の長いヴィクトルのティザーが発表されたときは「彼の空洞と向き合うのだろうか」と不安に思い、それが満たされるのも見ることができるのだろうか、と期待した。
しかし、そこからあまり情報は流れてこず、公式Twitter(X)でのポストも勢いをなくし、キャラクターの誕生日も画像はなく文字とハッシュタグだらけになった。
コロナが発生し、ほかにも世界情勢も厳しくなった。
私は半分以上諦めていた。本当に厳しいことになり、作っても発表できないかもしれない、とも思った。
リアリティのある作品なので、フィギュアスケートのルールやとりまく環境も変化していき、それを作品に落とし込むのも大変ではないか、となんとなく感じていた。
なので、製作中止の知らせは「ああ、やっぱり」と思ったのだった。
しかし、その後、じわじわと「もうないのか…」という気持ちが効いてきて、「このまま布団に倒れたい」、「動きたくない」、「仕事に行きたくない」、「がんばる気になれない」…、とどんどん落ちていった。
現実を受け止めきれないところだよ!!!
見ているこっちが恥ずかしくなるくらいのサービスシーンも満載だったけれど、オリジナルで、あの限られた時間で登場するキャラがそれぞれぐっと掘り下げられていて、衣装も音楽も振り付けもそしてとんでもないリアリティも「そこまでやるか!」くらいの熱量で。
こんなに興味をひかれる作品は本当に久しぶりで、こういうのにハマると日常生活に支障が出るタイプなのでいつもなら少し距離を取るんだけど「いや、今回はいけるところまで行ってみよう」とずぶずぶと突き進んでみた。
うちには録画機能がないので、時間差でネットで放送されるため1話につき3回視聴したり、雑誌も買ったし、スイパラコラボにも行った。グッズも少し買ったし(キャラがついたグッズより、キャラが使っていたものを自分も使いたい、からさ)、唐津にも行ったし(納得できていないので、もう一度行き直したい)、円盤も買ったし、博多でのユーリ展にも行った。映画館に一挙上映を見に行ったり(終了時間が午前2時とかだったはず)、4DXでの上映も全部見たし(通しの前売券も購入した)、音楽会の劇場LIVE中継も見た。考察もいくつか読んだし、タイトルにもなった「Yuri on ICE」の楽曲は今でも私のスマホのタイマーの音に設定され、変わらずにずっとそのままだ。
MIZUNO さんの勝生勇利選手モデルのウエア発表とその後のMIZUNOさんの店舗上げてのお祭り(ロシア料理の本を、出版社が「本気ですか…?!」と驚くほどの冊数を注文したエピソードは印象深い)は、「勝生選手を選手として扱ってくださりありがとうございます」と心から思った。
どこか「キャラがついてたらなんでも欲しいんだろ」というグッズ展開に、辟易したところがあったのかもしれない。
いいことばかりではなく、ファンの暴走ぶりも話題になったし、勇利さんの地元のモデルとなった唐津でもそれを目の当たりにし「地元の人はここで生活しているのに」となんだかつらい思いを持ったことがあった。アニメスタッフへのファンのSNS上の暴言も目に余るものがあり、アニメスタッフさんの何人かはアカウントを非公開にしたり削除したりもした。
作品自体もヴィクトルのロシアのおうちの部屋やポールダンスの場面がトレパクがあったり、製作のために作られた極秘資料が流出して売り出されたりもあった。
そんなこんなの2年くらいを過ごしていた。
私自身、あの頃はちょっと地に足がついていない感じで生きていた。妙なパワーとエネルギーに包まれていた。
ここまで思い出してみて、「そりゃ、落ちるわな」と、今、書きながら納得している。
もしかしたらあと20~30年経ってなにかあるのかもしれない。そういう作品もあるしさ。
でも、このままでもいいかもしれない、とも思う。
そりゃ、見たいさ。見たかったさ。ヴィクトルの内面とか、マッカチンのかわいいところとかさ。
それでも作り手も声優もどんどん変わっていく。「あのときにしかできない」というものはたくさんあるんだ。
しばらくショックを受けたままだと思うけど、それに自分がなじんでいくのを待つことにする。
過去の写真を探れば、ユーリ関係のものがざくざく出てくるんだろうけど、あえて止めておくことにした。
寒いものや雪や氷に関係する写真もなく、勇利さんがヴィクトルと温泉で会った春を思い、桜の写真を選んでみた。