学研の図鑑LIVE編集長の松原由幸さんを追いかけて動画を見ていたら、「ビジュアルシンカー」ということばにぶつかりました。初めて聞くことばです。
ものを考えるときに言語で考えるか、視覚で考えるか。「ビジュアルシンカー(visual thinker)」は視覚で考える人を指します。
松原さんはどうやらビジュアルシンカーのようで、ものを考えるときにどんなふうに考えるのか、それで苦労したことはどんなことなのかをその動画でお話されていました。
PodcastやYouTubeでも配信されているため、それらの説明はどうしても言語を使うしかなく、松原さんはもどかしそうにされていました。
番組の出演者のお二人は言語思考者のようで、様々なことを瞬時に的確に言語化してどばばばばとお話されていました。松原さんとそのお二人のやりとりを見て、なんだかそわそわしてしまいました。
多分、私は言語思考者ではなさそうだからです。言語化は難しく、どう言ったらいいかわからないでいるとせかされたりばかにされたりすることも少なくありませんでした。
かと言って、松原さんほどビジュアルは浮かびませんが、ことばではなくなんとなくイメージが浮かぶことはあるので、視覚思考が多めの混合型ではないか、と勝手に想像しました。
ところで在原業平という人がいます。百人一首にも歌が選ばれている歌人で、プレイボーイでもあったようです。
業平の歌について紀貫之が「心余りて詞(ことば)足りず」と評しています。気持ちがあふれすぎていて表現が足りていない、という意味です。この解釈についてもいろいろあるようですが、私は否定的な意味で学校で習いました。
このことを私は強烈に覚えています。ちょっと共感しました。前述のように感じていることも考えていることも、私の内側にはたくさんたくさんあふれているのに、うまくことばにできないので、話すこともできず、聞いてもらうこともできず、理解されなかったからです。
なので、私は人と関わることが苦手になっていき、今でも苦手です。
「書く」ときは、自分のペースでゆっくりことばにすることができます。向かうのは紙やPCなどのディスプレイなのでせかされて焦ることもなく、「こんなにお待たせしてどう思われているのかしら」と不安になることもありません。なので、私は「書く」方向に流れていき、今ここにいます。
ビジュアルシンカーの話を聞きながら、在原業平や自分のことをちょっぴり考えていました。
■松原さんの視覚思考についての動画
■松原さんが図鑑について語る動画
■本日の写真
鴨居玲展で撮った写真。
言語思考のお二人は美術館に行ってキャプションを読み、その内容の確認のために作品を見るとお話されていた。その鑑賞方法は私にはないやり方だったのでびっくりした。
鴨居玲さんの作品はとにかく、作品からのビリビリと痛い波動と気迫を感じるのが、私の鑑賞方法だった。
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