※ネタバレあり!
SNSで流れてきて、予告編を見て、「これは見たい!」と思った。
冒頭にも書きましたが、ネタバレがあります。
八丁座という映画館は、デパートの8階にあり、江戸時代のお城に来たような雰囲気がある。トイレの男性用には「殿」、女性用には「姫」と表記してある。
ここの椅子はソファのようで、前の席との間もたっぷり空いているし、横もゆったりしているし、肌触りも座り心地もよくて「これは寝ちゃう!」という素敵な劇場。調べたら「ソファー総張仕様」だった。
カフェには手鞠寿司や柔らかなお菓子があり、ワインもある。今日は風邪薬を飲まなければならない可能性が0ではなかったので、飲まなかった。すごおおおおく前に飲んだときは、ガラスのワンカップ酒のようなふたのついたワインだった。今はどうなっているのか。また行ってみなくちゃ。
感想は箇条書き。ネタバレあり。まとめなし。順不同。
- 予告編を見たときの印象と全然違った。なかなかハードで過酷な状況。
- 英語ともう一つの言語(アイルランド語?)で会話される。コットの父は英語ばかり話している。ラジオからも英語。父以外はその場に応じて英語ともう一つの言葉を使い分けているが、基本もう一つの言葉で話す。
- 静かで自己主張をあまりせず、自信がなくて物怖じしてしまう少女、という予告編だったが、実際はコットの上には姉が3人、下に赤ちゃんが一人、そして母は妊娠中。食事も衛生面も精神面もあまりケアされていない状況。母は赤ちゃんの世話も十分にできないほど追い詰められていて余裕がない。父はギャンブルにかまけている。姉たちはぱっとしないコットを軽く見ている雰囲気。こんなところはいやだ。
- 「親戚の家に預けられる」と書かれているが、親戚だけれど「母のいとこ」でほとんど会ったことがない夫婦の元に連れて行かれる。これは緊張して胃が痛くなる。
- しっかり世話をされ、失敗しても大きくとがめられることもなく、食事も十分に与えられる。ちょっとほっとする。
- 手伝いをすることで「自分が役に立つ」、「自分がやることがわかって、自分で判断してできる」。これが「居場所ができる」ことにつながっていくんだなぁ、と自分のことのように見てしまう。
- よくある、親戚の男性とは距離があるが次第に距離を縮めていく過程は、緩やかで微笑ましい。
- 親戚夫婦の秘密は近所の、あまりデリカシーを感じられない女性により暴かれる。そしてコットに対しても容赦しない。これもすっごくいや。
- 全体的に、お互いの名前をあまり呼び合わないんだなぁ、と思った。
- 親戚の男性がコットに「黙っていてもいいんだ」と夜の海を見ながら語るシーンはじんとくる。
- 地図がほしい。どのあたりの物語なのか。酪農家で森か林があるような場所だと思っていたので、突然海が出てきてびっくりした。
- コットが着ていたのは親戚夫婦が失った彼らの息子のものだった。親戚の男性が「コットには自分の服がいる」と買いにいかせ、試着して嬉しそうなコットはかわいかった。
- 夏が終わり、自分の家に親戚夫婦の車で送られ、帰った。私の中で絶望。状況は出発前と変わっていなかった。ここでまた生活しなくちゃならないのかと思うと、吐きそうになるくらいつらかった。
- 親戚夫婦が車に乗り、帰って行く。それをコットが追いかける。そのシーンがポスターの1枚になっている。明るい黄色のワンピースを着て走っているコットのポスターだ。ラストシーンへと続く「そこをポスターにしてあるのかぁ!」とぐぐっときた。
- 原題は「The Quiet Girl」。静かな少女。なので邦題「コット、はじまりの夏」とつけたのはよかった、というSNSの反応もあって、興味関心を引くにはいいタイトルだけど、「静かな少女」というタイトルは作品に効いてるなぁ、と私は思った。
- 門扉を閉めるために車を停め外に出ていた親戚の男性にコットが追いつくと、飛びつき抱きついた。男性も抱きしめた。本当の父親が後を追ってきた。コットが「Dad」と数回言った。これは本当の父親に対して言ったのか、親戚の男性に言ったのか、「どっちなんだろう」と思い、「これからどうなるのだ」とどぎまぎしているところで終わってしまった。
- 現状を見ると9歳の女の子になにができるんだろう。どうやったら彼女が幸せになるんだろう。と悩むばかりだった。
- 一方で「暮らす」ための煩わしさ(家を整えたり、食事の準備をしたり、仕事を稼いだり)は丁寧に暮らすと揺るがない芯のようなものになるのかしら、など自分の生活態度を振り返ってしまう。
- 派手さもなく、むやみやたらとハッピーエンドにならず、淡々としていたけれど、ゆっくりと沁みていく作品だな、と思った。
- 牛の声が日常的に聞こえてくる場所だった。
まとまらないけど、こんな感じ。